こんにちは!
今朝は前日の大雨で涼しく脚はまだ上がりませんが
涼しく走ることができました。少し気温が下がるだけで
かなり楽になりますね。久しぶりに気持ちよかった!
大きな力の続きです。
8.これは大きな力と言えるのかどうかわかりませんが
脱腸の手術は無事終えたものの乳児の頃からすぐ
風邪を引いて熱を出していたとのこと。通院のために
無理して中古車を買って病院の送り迎えしてたそうです。
私の記憶でもしょっちゅう病院に行って注射を
されてました。それといつも瓶に入った赤色の薬を飲んで
ました。そのせいか幼稚園、小学校、中学校と
全然背が伸びずガリガリ。クラス替えがあっても
いつも前から1番か2番目でした。小学生になっても
すぐ扁桃腺が腫れて熱を出すのは変わらずそれプラス
学校検診で血尿が見つかり運動制限やプール禁止に
なりました。元気な時は元気なので無視して運動して
ましたが。中学生になって少しは病院通いも減りましたが
相変わらず血尿は出たままで背も伸びずガリガリ。
小学校高学年くらいから中学生までは女の子の方が
みんな私より背が高くてプレッシャーを感じてました。
高校受験も終わりいつも行くお医者さんに扁桃腺の
摘出手術を薦められて高1の冬に扁桃腺を取りました。
扁桃腺は内部がすべて白い膿の塊になってました。
それから急に食べても食べてもお腹がすくようになり
相変わらずガリガリでしたが身長が2年間で14cmも
伸びました。それで自信がついて大学で山登りをするように
なりえらい体力がついて病気知らずで現在に
至ってます。小中とずっとお世話になった先生ありがとう!
9.大学浪人中から映画が好きになり特に戦争物が好きで
地獄の黙示録やフルメタルジャケットやらランボー、
プラトーンとか天と地とかカンボジアやベトナムが
舞台になったものをよく観てました。その影響からか
どうも未だによくわからないのですが今の会社に
入って韓国、中国、香港、タイ、インドネシアとかに
出張するようになって一度ベトナムに行ってみたいと
思ったのです。
うちの会社の人間が行ったことなくて今まで商売もなくて
どこかの国を自分で開拓したいというのもあったのですが
それならマレーシアとかバングラ、カンボジア、ラオス、
ミャンマー、カナダや北欧、東欧、ロシア、アラブ諸国、
オーストラリアや新婚旅行で行ったニュージーランドも
ありましたがどうにもベトナムに行きたくてたまらなく
なりました。それが今から20年前のことです。
上司に相談してもそんな貧しい国行って何を売るんだとか
全く相手にされず少しずつ自分でベトナムについて調べて
いきました。
地球の歩き方にもベトナム版はなく観光ガイド
ブックにもベトナムについてはほとんど書いてなくて
実際どのような国なのか全くわかりませんでした。
仕方ないのでJETRO行ったり日越交流協会とか
ベトナム投資セミナーとかとにかくベトナムと名のつく
団体や協会に足を運び色々教えてもらいました。
その中で当時まだベトナムはアフリカの国々と変わらず
世界の最貧国の一つでした。しかし識字率は92%で
先進国並みです。こんな国は他にありません。
頭の良い人たちがいっぱいいる最貧国って何だと
さらに興味が湧きました。
それから自費でベトナム語教室に通いだし
ベトナムからの輸入の引き合いはないか色々また
訪問したりして何とかベトナムとの接点を持とうと
動き回りました。でも仕事関係でも誰もベトナムに
行ったこともなく知り合いもいない状態が続き
たまたまインドネシアに出張した時にうちの
エージェントだったマレーシア華僑の社長さんに
何年かぶりに会ってベトナムの事を相談したら
何と弟さんがホーチミンにいるとのこと。
発砲スチロールの会社を経営しているとのこと。
早速ファックスで連絡してみました。
このあたりから私の意志を超えた大きな力が働き
出します。彼は友達と共同出資して発砲スチロールの
製造会社を経営しているが個人で貿易会社も持っており
輸出入の仕事もしているとのこと。そうこうしていると
うちの会社と長年の付き合いのある中古手袋編機を
販売している社長の息子さんがベトナムに進出した台湾人の
軍手製造会社に編機を販売したのでベトナムに行った
ことを知りました。
。
帰国した彼に話を聞いてみるとホーチミンはジャングルじゃ
ないし工業団地もあって都会とのこと。想像していたよりは
発展しているとのことでした。彼の話では軍手がベトナムの
工場ではほとんど使用されておらず手袋編機が今後売れる
のではということでした。それを聞いて矢も楯もたまらず
再度上司の説得にあたりました。
1年以上ベトナム語の勉強していること。インドネシアの
エージェントの弟さんがホーチミンで貿易会社をしている
こと。手袋編機がベトナムで売れる可能性がある等々。。
上司から自分1人では決めれないので輸出部全員に
ベトナム市場の可能性を説明してみんなの了解を
取ってからの話だということになり全員を集めて
会議室でベトナムセミナーを2回ほど開きました。
というのはうちの会社は色々な国に提携している
エージェントがあってそこから機械の引き合いが来て
販売するか日本の機械の会社からの依頼があって
商売の間に入るかで全く引き合いもなく誰も行ったこと
もなくゼロから知らない国を開拓したことがなかった
からです。必死に説明したのが効を奏したのか
みんなはまだかなり疑心暗鬼でしたが1回行っても
良いのではないかと了解を取りました。
それでマレーシア華僑の弟さんにアポを取り当時
取り扱っていた機械のパンフレットを全て持ち彼を
訪ねてホーチミン入りしました。それが1999年の12月です。
彼はすでにホーチミンに3年ほど住んでおり英語、
ベトナム語もベラベラで機械の知識はないがタオルや
ナイロン撚糸をマレーシアに輸出しているので何軒か
紡績関係の会社を知っているとのことでした。
彼に機械の説明するのもかねて10社ぐらい大手国営会社を
訪問し、またベトナム全土の繊維産業を統括する繊維公団も
紹介してもらいました。
当時は大手国営会社とはいえ20年30年前のヨーロッパや
日本の旧式の機械を使用しており製品の品質は悪いし
生産効率が全くあがっていませんでした。
パンフレットを見せて日本の最新の機械の説明をすると
みんな購入したいと言います。しかし価格を言うと
高すぎて購入できないとのこと。どの会社に行っても
日本の機械の中古を購入したいということで話が
一致しました。取りあえず中古機械の引き合いは
いくらでもあることを希望にして帰国しました。
帰国後付き合いのある中古業者さんに連絡してベトナムの
現状を説明していると以前ベトナムの国営会社に直接機械を
輸出する案件があったが年式の問題や通関等に問題が
あって話が流れたと聞きました。それが何と訪問した
会社の1社で華僑の彼がタオルを購入している会社で
した。早速彼に連絡して事情を説明したところベトナムの
国営会社に物を売りたければ現地のエージェントに間に
入ってもらい通関時の裏金や購買の担当者にキックバック
しないと話が進まないとのこと。彼はすでにこの会社と
商売をしておりそういうことは何でもできるとのことでした。
さすが華僑の彼はやり手でした。
その後2年間でこの会社には中古業者さんといっしょに
何百万もする機械を11台販売しました。この業者さんとは
今でも友達です。また同時に繊維公団の紹介で北はハノイから
ダナン、ハイフォン、フエ、ニャチャン等色々回ってニット編機、
手袋編機、織機等々を販売しました。その内ベトナムからの
引き合いがあっても日本での売り物がないという状況に
なってきました。そんな時に上司から今までの仕事とは
全く違う案件が来ました。それが14年経った今も継続している
自転車ラック製造の案件です。
上司の大学のクラブの後輩の会社が海外で自転車ラックを
製造できる会社を探している。この後輩の人は一緒に
ヨットに乗ったりして私も知っていました。この会社は
最初独自に中国、韓国で見積を取ったが価格が合わず
上司に東南アジアで安く製造できる会社を探してとの
依頼が来ていたそうです。私はベトナムに必死になっており
全く知りませんでした。上司もフィリピンやインドネシア、
タイで探したそうですが価格が合わなかったそうです。
その後何か月も放置されていて最後の最後に私に話が
来ました。日本で製造しても採算が合わず毎年大赤字で
海外で製造してくれる所を見つけないとこの部署は
解散することになる。絶対一番物価の安いベトナムで
見つけろと。
日本で中古機械の売り物がもうほとんどない状態で
ベトナムで商売継続するにはこの案件はチャンスだ!
と思いましたが2年間で訪問したのは繊維産業関係ばかり、
鉄鋼関係は全く知らず板金ができてしかも日本市場で
販売できる品質のラックを製造しないといけません。
繊維産業関係の会社は何十社と訪問しましたが日本に
輸出できる品質を持っていたのは数社だけでした。
しかも私自身が鉄鋼関係は何の知識も経験もありません。
また華僑の彼に探してもらうのを頼むとコミッションを
払わなければならないのでおそらく価格が合いません。
自分で探すしかないと。。。。
上司から引き合いの自転車ラックの製造の話を聞いて
その中に塗装の下塗りでパーカライジング加工というのが
ありそれができなければ板金ができても日本市場では
販売できないとのこと。何の事やらさっぱりわかりません
でしたがパーカライジング加工ってベトナムでどこかで
何年か前に聞いたことがあると思い手袋編機の業者さんと
そう言えばまだベトナムに来てすぐの頃にホーチミン周辺の
工業団地全部訪問して軍手の使用状況を調査したことを
思い出しました。その中の1社に日系のベトナム
パーカライジングという名前が会社がありました。
どんな会社だったのかも忘れてましたが訪問した会社の
パンフレット及び会っていただけた人の名刺は全て
大切に保管していました。
それでほとんど2年ぶりにこちらの事情を説明した
ファックスをしたところ何と私は忘れていましたが
会っていただけた社長さんは私たちの事を覚えて
いてくれて丁寧に返事をくれました。後で聞いたところ
日本から若いのが2人で訪ねて来るということ自体が
当時珍しかったそうです。日系の板金会社もあるが
おそらく価格が高いので台湾系でしかも副社長が日本人の
会社があるからその副社長に話を通しておくから
連絡してみたらとのことでした。それで連絡して図面や
スペックをファックスしたらたぶん製造できるとのこと。
しかもプレス金型や溶接治具も同じ工場で製作できて
塗装、組立までできるとのことでした。これには
信じられないぐらい驚きました。1社でメッキ以外全て
できると。まさに理想の会社です。しかも副社長が
窓口になってくれるから全部日本語で仕事ができます。
タイで何かの案件があって上司の後輩の会社の別部門の
事務所に放置されて埃だらけだった自転車ラックの
サンプルを持ってベトナムに戻ってきて早速副社長を
訪問しました。そこにベトナムパーカライジングの社長も
来てくれて一緒に製造の検討をしてくれました。
工場を案内してもらい各製造工程の説明を受け写真を撮って
帰りましたが当時の私はその説明が何ことだかさっぱり
わからず、なんかヒマそうな会社だなという印象しか
ありませんでした。
帰国後見積りが届き価格はうちの利益を入れても大丈夫な
価格で工場の写真を持って自転車ラックの部署の部長さんや
次長さん、技術部門の方々と会議を開きました。部長さんは
工場の写真を見てここなら製造できると即決しましたが他の
方々がベトナムなんかで作れる訳がないと反対されました。
自転車ラックは見た目は簡単だが作るのは難しいと。
しかしこの部署も後がなく結局ベトナムで製造することに
なりました。その会議で一番反対していた次長さんが
製造の責任者になり設計は外部委託していたのでその設計者さん
とベトナム通いが始まりました。確かに見た目ほど作るのは
簡単ではないと骨身に沁みてわかりました。
長くなりすぎて本当にすみません。まだ続きます。
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