こんにちは!
水泳を教えたいのに走ってばかりですが少しでも
体力をつけようと走ってます。
今朝も走りましたが脚が上がらず速足に毛が生えた
ようなスピードしか出ません。競歩には負けてると
思います。気持ちだけが走ってました。ハハハ。
土日に泊まったホテルで水泳の合間にビーチチェアに
寝そべって空を見上げている時、ふと考えました。
何で一人でこんな所にいるんだろうかと。
知り合いも友達も誰もいないのに。
しかもゆっくりのんびりしているけどここは日本じゃない。
それでどう考えても自分の選択や努力だけでここに
いるわけではないなと。以下どう考えても自分の意志
ではなくて何かに動かされてきたことを書いてみます。
今回は長くなります。すみません。
1.生まれて半年で脱腸で手術しないといけないこと
になったが50年前は新生児に全身麻酔するという
データがなくて(死ぬからしなかった。)
医者から手術自体は簡単だが麻酔の分量がわからず
おそらく2度と目覚めないと言われたそう。
神社で祈祷して占ったら手術したら死ぬと言われたとのこと。
それで父親が何もしなくても死ぬのなら手術して欲しいと
医者に頼んで手術したそうです。
手術してくれた先生ありがとう!
2.中2の三学期から初めて学習塾に入り公立高校の
受験までまさに朝から晩まで勉強して私立高校の
受験日3日位前から発熱し全く熱が下がらず
39度位あって頭がボーっとしたまま受験した
私立が合格。絶対合格すると言われて自分も
そう思っていた第一志望の公立高校が不合格。
でも勉強はしたけど元々優等生でも秀才でもなかった
自分がそんな高校生ばかりの所にいるとたぶん
途中で脱落して引きこもりになっていたと
思います。合格した友人たちは頭も良いし人間が
落ち着いていて私よりみんな大人でしたから。
3.何も知らず大学のクラブに入ったら翌年に
ヒマラヤ海外遠征の予定で先輩の好意で連れて
行くだけ連れて行ってくれることになり1年間の
トレーニングだけで6,642mに登頂した。
トレッキングが始まっても体調が良く高所順応も
問題なくまさかのアタックの了解が出て
第1アタック隊に入れてもらったが発熱(先輩には
黙っていたが40度くらいあった。)先輩には
体調が悪いとだけ報告して第2アタック隊に参加。
まだ38度くらいあってバファリン8粒ぐらい飲んで
無理やり熱下げての登頂。でも下山するときは
意識が朦朧として自分のザックも持って歩けず
みんなから糸の切れた凧みたいだったと言われました。
ベースキャンプについても自分で靴ひもがほどけず
同期にほどいてもらいました。先輩、同期
ありがとう!
4.海外遠征から帰って2か月くらいたった夏合宿。
前日に月山で夏スキー練習を終えて3泊4日の短い合宿。
最終日前日であと1時間でテント場到着の最後の休憩中に
全身が痺れて感覚が無くなり意識もなくなり意識はすぐに
戻ったものの動けず麓の村役場の人たちに担がれて急遽
下山そのまま救急車で病院に運ばれました。重度の日射病と
熱射病の併発だったそうです。先輩たちからも意識が
無くなった時は死んだと思ったと言われました。
お医者さんにも普通は死んでると言われてやっと生きてる
実感が湧きました。皆さんご迷惑かけてすみませんでした。
5.中退するつもりだったので6年かかって大学卒業して
大手証券会社に入ったけど半年で嫌になって毎日
営業もせずにさぼって転職情報誌読んでいたら
今の会社が求人広告を出していて出張先で仕事が終わったら
遊んで帰ってきても良いと書いてあったので面接を受けたら
即合格。面接の時の山登りの話がおもしろかったそう。
それまで40人位面接したが全部不合格だったそうで
最後にたまたま来た私が一番おもしろかったそうです。
会社ができて初めて求人広告だしたそうで後にも先にも
それ以来求人していません。輸出部長、経理部長、
ありがとうございました!
6.今の会社に入ったら当時はまだ景気が良くて私は英語が
しゃべれないから1年どこの国でも良いから自分で
決めて語学留学して来いとのこと。証券会社辞めて
この会社に入るまで時間があって入社するかまだ迷って
いた時にたまたま部長の奥さんに子供ができたことが
わかって正月休みに夫婦でアメリカ旅行予定していたが
チケットキャンセルできないので代わりに来るかと誘われて
急遽パスポート取ってまだ入社していないのにアメリカに
連れて行ってもらいました。しかもツアーとかじゃなくて
ロスでレンタカー借りての行き当たりばったり旅行。
ラスベガス行ってサンディエゴ行ってそこで遊覧船に
乗ってビーチを見ていたら平日の昼間から遊んでいる人が
たくさんいてこんなので生きていけるのなら何とかなるさ~
と今の会社で働くのを決めました。
それでアメリカのデンバーに留学してそこで何と今の
家内に出会いました。人生どうなるかほんとにわからない。
7.今の会社に入ってから結婚する前のことだと思うのですが
姉貴の家に届けものか何かして晩飯食べての帰り
車の運転をしていてサバンナRX-7に煽られて腹が立って
大阪の中央環状線で抜きつ抜かれつ競争していたら
突然私の車線が道路工事の迂回レーンに入ってしまい
S字カーブになっていて100キロぐらい出していたので
3速に入れてブレーキ踏んで最初のカーブは何とか
曲がれたのですが出口のカーブが急で曲がりきれず
ハンドルを切り過ぎたこともあり車がスピンを始めて
クルクル回りながら工事現場に突っ込んで行きました。
今でもそのスローモーションを思い出すことができます。
最後はH鋼を積み上げた壁に激突して止まりました。
その間道路との敷居に使っていた鉄パイプが何本も
車に突き刺さりズタズタ。私の座席のドアが私を押しのける
程内側に入ってきていて見たら鉄パイプが3本刺さって
ました。もう少し上に来ていたら窓を突き破って
串刺しになっていたところです。ドアが助けてくれました。
結局窓ガラスの破片を浴びただけで外傷はなく車を見た
警察と父親からはよく生きてたなと言われましたがその時は
大丈夫でした。ただその後疲れが溜まると右目からずっと
右半身まで鉛を入れられたような重さを感じることがあり
今から8年ぐらい前にどうにもおかしいので
カイロプラクティックに行ったら先生に昔交通事故か何か
したかと聞かれて車を半分にするような事故しましたと
答えたら首の頸椎がずれていて後1ミリずれていたら下半身
不随になっていたよと言われました。ギリギリだったそう。
何回か施術してもらい頸椎を元に戻してもらって右半身に
全く何も感じなくなりました。初回の施術で右目が
はっきり見えるようになったのには驚きました。
先生ありがとうございました。
まだまだ書きたいことがありますが長すぎるので
今日はここまでにします。すみません。
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